日刊工業新聞 2012年12月25日~12月28日の4日間掲載されました。

日刊工業新聞に4日間にわたり、どのように「ロックン・ボルト」が開発されたかという記事が掲載されました。


ロックン・ボルト 1 ナット不要のボルト開発

(2013年12月25日掲載)

機械加工の産物 - ナットを使わずに締め付けをきつくし、緩み止め機能を持つボルト。一度締めたら最後、市販の工具では簡単には外せなくなるボルト。一般には成熟技術と思われがちなボルトやネジの世界で、こんな興味深い製品を生み出すベンチャー企業が横浜にある。長谷川賢司が起こしたロックン・ボルトだ。「緩み止めナット不要のボルト」は、大手のエレベーターや化学メーカーに採用済み。外せなくなるボルトは、マツ.ショウ(埼玉県草加市)と開発し、自動車のナンバープレートの盗難防止装置として新しいビジネスモデルを構築している。 ナット不要ボルトも外せなくなるボルトも原理としては明確。機械加工技術で成し遂げた機械加工会社の産物だ。

独自の構造 - ナット不要ボルトの部品は、わずかに3点。ボルトの先端に切り欠きを入れ、ボルト先端部に円すい形のコマを挿入。コマとボルトの中心部にセンターボルトを入れて締めると、コマが締め上げられ、円すい状に広がったコマがボルトの径を広げる。ボルトの径が拡大することで材料(対象物)への食い込みが増し、締め付けをきつくする。ナットなしで確実に締め上げ、しかも緩みを防止できる。 外せなくなるボルトも独自の構造を持つ。秘訣は、ボルト頭部に施したラチェット(セレーション)構造。角度を付けた山を作り、頭部に凹凸の形状を設ける。これによりボルトは、締める方向には回転するが、逆に緩めて外す方向ではボルト本体をかみ合わず、空回りしてしまう。「普通のラチェットは、外周部分にツメ(凹凸)をつけている。わが社のものは、平面上に付けて盗難防止にした」(長谷川)という自信作。平面上に凹凸を付け、その上を別の部品で覆っているため、ラチェット部分に手を入れられなくなるのだ。

市販品として洗練 - 盗難防止ボルトは環境にも恵まれた。基礎はロックン・ボルト(前身のハマ・システムを含む)の開発品だが、自動車部品メーカーのマツ.ショウが、さらに市販品として洗練させた。そして、国土交通省が有識者による懇談会を立上げ、自動車のナンバープレートの盗難を防ぐ機能の必要性を確認した。ロックン・ボルトとマツ.ショウには確実なビジネスチャンスとなる。 こうした製品は、一朝一夕にできあがったわけではない。大本は長谷川が1968年に起こした横浜工業。ロックン・ボルトと横浜工業を一代で築いた長谷川の半生を見てみよう。

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ロックン・ボルト 2 リピート性のある製品開発

(2013年12月26日掲載)

やるかやらないか - 「発想があっても実際にやるかやらないか。その差で世の中、ずいぶんと大きな展開になることはたくさんある。」社長の長谷川賢司に緩み止めナット不要のボルトを開発できた秘訣を聞くとこんな答えが返ってくる。ヒントは皆の前に転がっている、それを実際に行動に移せるかどうかだと。ただ、製造業の場合は頭脳だけで考えても前には進まない。実際にモノを作り出せなければ意味がないからだ。「自分で機械加工できるのが生きている。自分で現物にする設備もある。そういう立場だからできた」と長谷川は続ける。長谷川は、ヒントをつかむセンスとアンテナ、それを実行する機械加工や設計の腕とコツ、設備のすべてを備えていた。

苦労の連続 - そんな長谷川の半生は、働くことの苦労の連続だった。「腕のある板金職人だった」という父が病気で働けなくなったのは、長谷川が中学生の時。長谷川は、中学卒業後には近所の鉄工所で機械の見習工として働くことになる。昼間は働き、夜は夜間の工業高校に通学。長谷川は「旋盤からフライス盤からすべて一生懸命やった。機械のことはすべてマスターした」と振り返る。4年を経て大手化学メーカーで金型の設計に携わる。「(自分でも)すごい闘志だった。最終的には、金型は動かないから面白くないと感じた」と機械メーカーに転職。働きながら、今度は二部の大学工学部機械工学科に通った。昼は機械設計、夜は機械工学の体系的な学習。理論と実践を日々の中で同時に身に付けていった。

30歳前に独立 - 学んだことが働くことに生き、働く中で不思議に思ったことが学ぶことで納得できるようになる。「(早くから働かざるをえなくなったことで)つらいこともあったが、人の倍いろんなことを覚えている。結果的には全部が後の人生にプラスになった。みっちり詰まった人生だよ」。長谷川の前半生には、人が生きていく中で感じる、学ぶことと働くことの本質的な意義があった。長谷川は30歳になるのを前に、1968年に横浜工業(当時は長谷川オートマシン製作所)を設立して独立。旋盤を1台買って機械加工から開始。その後「機械加工の工賃だけでは…」と感じ、自ら設計して製作する姿勢に次第に軸足を移した。およそ35年たつのにいまだに注文が来るという「精密ハンドプレス」は、その頃に開発した商品。手動で圧入とかしめ、切断作業ができる。顧客の電子部品メーカーにとっては、システム化した大型のラインを作るより、10万円もしない同機を並べて使ったほうが投資効率が断然良い。「安いからちょっとした仕事に使える」と注文が続き、横浜工業の商品ラインナップの中で今も健在だ。

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ロックン・ボルト 3 理論と実践 同時に習得

(2012年12月27日掲載)

出会いに助けられ - 働きながら学び、また働いた社長の長谷川賢司は、出会いにも助けられた。最大の出会いは妻だっただろう。長谷川は、独立資金まで出してくれた妻に感謝してやまない。「何と言っても、女房がいなければここまでできなかったな」と語る。横浜工業の経営は、石油ショックやニクソンショック、円高など「もうダメかなと思った時に打開策が出てくる」という連続。電子部品メーカーを中心に、横浜工業と長谷川の技術と人間を評価してくれた人物と出会い、「とにかく誠意を尽くした。当社みたいな小さな企業は小回りが利くから」と振り返る。そんな長谷川だが、後半生は、横浜工業の経営を息子に譲った時から始まる。仕事まっしぐらだった長谷川。2、3年は英気を養いつつ「何をやったらいいんだろう」と思いを巡らせた。ゴルフを学び直し、生涯の趣味になったが、それだけで後半生を過ごすことを面白いと感じる人間ではない。

生産・事業の安定 - 念頭にあったのは、「横浜工業の一番困っていることを解決しないとダメだ」との思い。横浜工業では自社設計と製作を掲げ、電子部品の生産・自動組み立て機の設計開発製造企業となったが、やはり顧客からの注文の増減には悩まされている。「注文をこなした後は、忙しくなくなってしまう(仕事は減ってしまう)」状態から、生産と事業を平準化し、安定させたかった。リピート性のある製品を生み出し、横浜工業の事業を安定させるため、ハマ・システムを2004年に起業。長谷川が開発専業のベンチャーを自ら起こした形だ。その後、商品・ブランド名を「ロックン,ボルト Lock’n Bolt」として11年に商標登録したのを機に、社名も「ロックン・ボルト」に変更した。ロックン・ボルトの製品を外部はどう見ているのだろうか。大手電機メーカーを退職し、横浜市の産業支援団体である横浜企業経営支援財団(IDEC)のコーディネーターとしてロックン・ボルトに関わる佐久間利治は、「緩み止めナット不要ボルトよりは盗難防止ボルトの方が、技術的、機構的に非常にユニーク。デザインもすっきりしている」と指摘。ナット不要ボルトについても「向く用途は必ずある。ボルトだけを埋め込む、ナットレス(ナットが不要の)用途に向く」とみて、コーディネーターとして販路開拓に力を貸す。

出始めた成果 - 中小企業が苦労して開発した製品を模倣から守り、事業として伸ばす有力な手段としては、特許などの知的財産活用がある。ロックン・ボルトはすでに対策済みだが、ビジネスモデルの創出という面でも成果が出始めた。

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ロックン・ボルト 4 他に機能持つボルト

(2012年12月28日掲載)

ロイヤルティー - 「料理には味付けが必要なんだ」。自動車部品メーカー、マツ.ショウ(埼玉県草加市)社長の松本昇は、技術と経営について、こうとらえる。マツ.ショウは、ロックン・ボルトの盗難防止ボルトを基礎にし、ロックン・ボルトと共同で特許取得した企業。開発したボルトは、マツ.ショウが自動車のナンバープレート盗難防止用装置「GDトリプルロック」として販売し、ロックン・ボルトはマツ.ショウから販売量に応じてロイヤルティ―(使用料)を受け取る。マツ.ショウは開発した技術を製品化した上で、継続的に利益をを上げられる仕組み(ビジネスモデル)を市場に浸透させる点を明確に意識した。技術を料理の材料に見立てるならば、材料の良さは確かに必要だが、おいしい料理にするには全く別のコツ、味付けが必要というわけだ。マツ.ショウの仕組みはこうだ。GDトリプルロックを外す専用工具を自動車ディーラー各店に無償で貸与。ディーラーで購入した客は、市販の工具ではボルト(ナンバープレート)をはずせないため、買い替えや板金修理時には再度店を訪れることになる。取付工賃もディーラーの収入になる。専用工具にはシリアルナンバーを付け、どの店舗に何番の工具があるかを常に把握して工具の氾濫を防ぐ。ボルトそのものは壊せば取り外せるが、犯罪防止効果は十分と見る。開発専業のロックン・ボルトだけでは、自動車販売業界でのビジネスモデル構築は難しく、ロックン・ボルトは販売パートナーを得たことになる。

視野を広く - ロックン・ボルトの目下の課題は、こうした販路開拓。中小企業が悩むことの多い「技術は良いんだけど…(事業や経営に結び付いていない)」という状態にならないよう、視野を広く市場に向ける。横浜市も横浜企業経営支援財団(IDEC)のコーディネート事業を通して支援。盗難防止ボルトは建設機械の盗難防止などで売り込みをかけ、大手建機メーカーにも販売成果が上がっている。緩み止めナット不要ボルトは、製造工程の中でボルトがゆるみやすい化学メーカーなどの工場で引き合いがある。「このボルトを理解してもらい、安全安心を手にいれてほしい」とロックン・ボルト社長の長谷川賢司。他にない機能を持たせている分、特徴のない製品と同じ扱いや価格では納得しない。

最終的な願い - 今後の目標もある。「国際的に使ってもらえるのが一番うれしい。苦労して開発したものが報われる。オレがいなくなってもボルトは残ってくれるから、こんなにうれしことはないね。」技術屋であり経営者でもある長谷川の最終的な願いはここにある。

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